これまでの人生について②

こんにちは!

あかくま(@akakuma_1030)です!

 

今回は前回に引き続き、私のこれまでの人生についてお話ししていきます。

 

前回の投稿に、たくさんのコメント本当にありがとうございました♡

 

とても嬉しかったです!

 

「前回の記事まだ読んでないよ」って方はこちらから↓

これまでの人生について①

 

「読むのめんどくさいよ」って方はあらすじを読んでから続きを読んでもらえると嬉しいです!

 

前回より、もう少し重い話になります。

 

そして、今回で全て話し切りますね!

 

少し長くなりますが、読んでもらえると嬉しいです!

流れ・あらすじ

流れはこんな感じです!

 

前回の記事では、私の母の1度目の離婚についてお話ししました。

 

父は暴力を振るう人で、母は必死に逃げ、私を守ってくれました。

 

母子寮でしばらく暮らし、それから無事2人でアパートに住むことができました!

 

それから、母の2度目の結婚・離婚・私が保護されて今に至るまでの経緯を話していきます。

 

2度目の結婚・離婚

2人でアパートに住み始めて、生活も安定し、私は小学生になりました!

 

ちなみに、母は生活保護を受給しながら必死に働いて私を育ててくれました!

 

感謝!感謝です!

 

母が再婚相手と知り合ったのは、私が小学2年生の時です。

 

相手はトラックの運転手さん。

 

たまたま私たちの住んでる近くで仕事があり、一緒に会うことになりました。

 

初めの印象は、優しそう・タバコ臭い

 

「お父さん」という存在がどんなものなのかよく分からなかった私は、大人の男性にどう接していいのか全く分からなかった。

 

でも、小まめに会いに来てくれて短い時間でもご飯を一緒に食べたり、だんだんと打ち解けて、楽しくて幸せな気持ちになりました!

 

母が仕事に行っている間に、一緒に遊んでくれたり、いつも1人でお留守番してた私は嬉しかったです。

 

でも私が懐いて慣れてくると、その人は私にマッサージをしてくるようになりました。

 

マッサージ…!?!?

 

今思うと不思議ですよね。

 

子どもにマッサージするって…。おかしい。

 

まだ、小学生だよ?どこも凝ってないよ?

 

でも、当時は全く不思議に思わず、マッサージをしてもらっていました。

 

初めの頃は普通のマッサージ…

 

日に日に身体を触り始めるマッサージに…

 

でも、何もわからない私はそれが普通だと思ってたんです。

 

その後の母と父の交際は順調で、1年半くらい交際を続け、遂に結婚することになりました。

 

今まで母しか居なかった私は「お父さん」という存在が出来たことがとても嬉しかった覚えがあります!

 

母と私、新しい父と3人で一緒に住むことになりました。

 

でも、幸せだったのは初めの頃だけ。

 

だんだん家庭は狂っていきました。

 

私へのマッサージもだんだんエスカレート…

 

一緒に寝ないと怒られる。

 

拒否ると拗ねる。怒る。怖い。

 

だから拒否れない。

 

だって、一緒に寝たら身体を触られるから。

 

あと、お風呂も拒否れなかった。

 

一緒に入ってタオルで目隠しをされる。

 

身体を触られる。

 

普通じゃない。でも母に言えなかった。

 

そんな日々。

 

夜にふと目が覚めると、父の怒鳴り声、叩く音。

 

朝起きると母に「昨日はごめんね」と謝る父。

 

典型的なDV男ですね。

 

だんだん父に怯えながら、母と2人で生活する毎日になりました。

 

トラックの運転手だからいつ帰ってくるかもわからない。

 

帰ってきた車の音で、怖がる私と母。

 

日に日に、母と父は会話をしなくなり、私を通しての会話に。

 

間に挟まれるのも辛かったけど、そうするしか方法がなかった。

 

父が帰ってきたときに母とテレビを観ていたら、次の日にテレビを売られたこともありました。

 

朝起きたらテレビがない。怖かった。

 

そんな日々が1年近く続きました。

 

児童相談所へ

そんなある日、父に「身体を触られている」と気づいていた母は遂に行動に起こしました。

 

児童相談所に相談しに行ったんです。

 

私も連れて。

 

でも、気づかれてるとは知らない私は、ただカウンセラーの人と楽しくお話ししていました。

 

その間、母はソーシャルワーカーさんに相談。

 

そこから児童相談所に、小まめに通う日々。

 

私はカウンセラーの人とゲームで遊ぶのが楽しくて、毎回楽しみにしてました。

 

裏で大変なことが起きているとも知らずに…。

事は突然起きます。本当に突然。

 

その日も、いつも通り児童相談所へ。

 

私はいつも通りゲームをして楽しく遊んでいました。

 

面会時間は1回1時間。

 

その日もゲームを楽しんで帰る予定だった。

 

でもね、

 

「お母さんがまだ話してるから今日はまだ帰れない」と。

 

…それから4時間くらい経ったかな。

 

大人の人がたくさん来て、

 

「今日はお家に帰れないよ」って。

 

何が起きたのか分からなかった。

 

とりあえず車に乗せられて、必要な荷物だけ母が家に取りに帰る。

 

私はもう2度と部屋に入ることは出来なかった。

 

そのまま車に乗って、着いた場所は女性の施設。

 

その施設には、ストーカー被害に遭った女性など色んな事情で保護された人たちが暮らす場所。

 

しばらく施設での生活が始まりました。

 

家にも急に帰れなくなって、学校にも行けない、友達にも会えない、お別れのバイバイも出来てない。

 

本当に辛かった。

 

でもね、父が居ないだけで安心感はあった。

 

もう嫌なことされることはない。

 

怒鳴り声を聞くことはない。

 

ここに居れば安心だって事は当時の私も分かりました。

 

「母と一緒に居れれば大丈夫だ!」って。

 

なのに…

 

母ともある日突然、一緒に居られなくなりました。

 

「お母さんは今物凄く大変だからしばらく離れて暮らす必要がある」って。

 

物凄く泣いたよ。

 

だってお母さんと離れて暮らすとか嫌だもん。

 

でも、泣いても許される事じゃない。

 

私は児童相談所の一時保護所という場所に保護されることになりました。

 

辛くて毎日、毎日泣いてばかりの日々。

 

ただ、お母さんと2人で暮らしたいだけなのに叶わない悔しさ。寂しさ。

 

一時保護所には、色んな事情で保護された子ども達がたくさんいました。

 

私はすぐに馴染めず、みんなとは違う1人部屋へ。

 

でも、周りの職員さん達がとても優しくてね、日に日に打ち解けてみんなと馴染めるようになった。

 

他の子たちとも仲良くなって、それなりに楽しい日々を過ごせたよ。

 

「一時保護所」と聞くと、あまり良いイメージを持たない人が多いと思う。

 

子どもたちの扱いが酷いとかニュースで目にするから。

 

でも、私が恵まれてたのか分からないけど、とても暖かい場所だった。

 

…ここでの出来事はあんまり話しちゃいけないかもしれないけど、もう少し詳しく話したいからまた別の記事でお話しします。

 

一時保護所での生活も半年くらいが経った頃かな。

 

ここで良い知らせを聞くことに!!!

 

「ここを出て、お母さんとね、また一緒に暮らせるよ」って!!!

 

嬉しすぎて飛んで喜んだ覚えがあります!!!

 

嬉しくて、嬉しくて、誰かに話したかった!!!

 

けど、他の子には話しちゃいけない決まりだったの。

 

1人でその日までのカウントダウンの始まり!

 

遂に、その日が!!!

 

みんなにお別れをして、母の元へ。

 

母は女性を守ってくれる体制が整ったアパートにいました。

 

会えたこと、また一緒に暮らせることが嬉しくて、嬉しくて、毎日色んな話をした!

 

一緒に遊べること、一緒に寝れることが本当に嬉しかった!!!

 

そして、遂にまた2人でアパートに暮らせることに!

 

当時、私は小学6年生。9月頃でした。

 

学校は当然、転校。

 

田舎の1学年1クラスの学校。

 

…馴染めなかった。

 

毎日、吐き気。腹痛。

 

教室にも行けなくなって、保健室登校。

 

だんだん保健室すら行けなくなった。

 

学校に向かってる最中に無理になって、家に帰る。

 

そのまま不登校に。

 

毎日、家に引きこもる日々。

 

何かをするわけでもない。ただ、家に引きこもる。

 

外に出るもの怖かった。

 

特に男性が怖かった。

 

「ポケットから刃物を出してくるんじゃないか」

 

「私のこと殺そうとしているんじゃないか」

 

とにかく怖かった。

 

軽い男性恐怖症ですね。

 

そして、病院へ連れて行かれて「うつ病」

 

睡眠剤と精神安定剤を飲む日々。

 

これから楽しくなるはずの私の人生がどん底へ。

 

「死にたい」そんな気持ちになった。

 

オーバードース(OD)をやったことも。

 

※オーバードースとは、薬を大量に摂取することです。

 

死ねるのかなって…。

 

体にものすごく悪いね。

 

当時の私の身体、ごめんなさい。

 

傷つけて、苦しめて、本当にごめんね。

 

うつ病からの回復

でも、学校にちゃんと行きたいって気持ちはありました。

 

だから中学から頑張って通った。

 

辛かったけどね。

 

1回休んだらもうダメだ…って頑張った。

 

そして、友達に連れられて部活にも所属。

 

でも、その部活のおかけで私はうつ病から回復することが出来ました!

 

物事に没頭することで、自然と治ったのかなと思います。

 

1年くらいは通院してたけどね。

 

そんなこんなで中学も無事に卒業して、高校も無事に卒業して、今は大学に通っています!

 

さいごに

もの凄く長くなりましたが、ここまで読んで下さり本当にありがとうございます。

 

現在は、「私と同じ境遇の人を救いたい」という気持ちから大学で心理学を専攻しています。

 

母は、うつ病・パニック障害を抱え、未だに生活保護を受給しています。

 

私が大学へ進学するのも、周りから物凄く批判をされました。

 

「働け」って…。

 

それでも行きたかった。

 

カウンセラーさんに救われたことで、私も誰かを救いたいと思ったから。

 

金銭面・生活面とても大変ですが、母とは世帯分離をして、奨学金を借りて今、大学へ通っています。

 

ただ、カウンセラーにはなりません。

 

私には向いていないということが分ったからです。

 

私自身、とても病みやすいので、多くの人の悩みを受け止められる自信がないから。

 

でも「誰かを助けたい」という気持ちは変わっていません。

 

カウンセラーにならなくても誰かの支えにはなる方法はあると思っています。

 

Twitterでなら、資格がない私でも話を聞いてあげることが出来る。

 

話を聞くことしか出来ない自分が悔しいけど、それでも支えになりたい。

 

考えがまだ甘いかもしれない。

 

それでも、1人でも話して良かったって。

 

気持ちが楽になったって。

 

そう思ってもらえるように、この活動を続けていきます!

 

そして、これからも私なりに出来ることを模索していくつもりです。

 

私の人生、辛いことがたくさんありました。

 

私のように「どうして自分だけ…」という人に「こんな人もいるよ」って伝えたい。

 

この経験は、無駄にはなってないと思います。

 

母にもここまで育てて貰ったことに、感謝の気持ちで一杯です。

 

そして今は前に進んで生きています。

 

うつっぽくなるなる時も、頑張りたいのに頑張れない時もあります。

 

でも、そんな頑張れない自分も私だから。

 

日々の当たり前に感謝しながらこれからも生きていきます。

 

つい、熱く語り過ぎてしまいました…笑

 

これからも気軽にたくさんお話ししましょう♡

 

ここまで読んでくださった方、本当に感謝申し上げます。

 

1人でも多くの人に届きますように。